超自我の囁き

個人的に読んだ本の感想と考えたことを書きます。

乙女ゲームに青春時代を捧げたはなし【入門:中学編】

乙女ゲームに青春を捧げた。そう言っても過言ではない。

女子校という男子は先生しかいない、二次元でいえばマリみてのような世界(実際共通するポイントは女子しかいないという点のみである)で私は迸る青春の矛先をゲーム、ないし漫画・アニメに向けた。

そう、いわゆるヲタクである。隠すこともなく、私はヲタクである。

 

私の乙女ゲーム遍歴はおおよそ3つのセクションにわけられるだろう。当時を懐かしみながら、今日はそれを語っていきたいと思う。その時期にやっていたゲームと、その作品の中での一推しを 紹介していく。(途中放棄した作品、個人的にあまり刺さらなかった作品に関しては割愛しています、すみません)

みなさんもよかったら自分の乙女ゲーム遍歴を追いながら見ていただけると嬉しい。

だらだら書いていたらとても長くなってしまったので、前・中・後編の3つに分けて紹介していきたいと思います。

 

中学三年生のときに、初めて乙女ゲームをプレイした。これをやってしまったら、私は永遠にヲタクから戻れないのじゃないか。一生リアルな恋愛をすることができないんじゃないか、そんな恐怖感を抱きながら、夢小説をしこたま読み漁り、そして書き散らしていた私はついにその欲求を抑えきれなくなった。

 

キャラに名前を呼ばれたい!!

 

もう活字だけでは我慢できない、よりリアルな少女漫画的体験を、できることならば画像と音声つきで体験したい!そして、その世界の一員に自分もなりたい!!

そこで恋愛をするべく、キレイになって痩せて男の子の知り合いを作って……という思考回路が回らないのが、私がヲタクである所以であろう。

 

そしてついに15歳の誕生日に、プレゼントとして乙女ゲームを買ってもらうことに成功した。ヤッタネ!

両親ともに漫画やゲームなどに疎い人であるし、特に子供の趣味に対して偏見を持たない人であるからすんなりと購入してもらえたことが幸いであった。(エキセントリックドルオタである姉に散々調教された結果であろう)

思えばこれが私の輝かしい腐れ人生への第一歩だったのだと思う

 

乙女的恋革命ラブレボPS2

★颯太くん

私の初乙女ゲーム経験を捧げた作品である。

数多くの美少女コンテストを総なめしていた元美少女、現100キロの女子高生が主人公。ダイエットをしながら、学校一のイケメンたちの闇を受け止め、解決し愛を育む素晴らしいゲームである。

 

なにこの一作目から癖のある選択。 

 

このゲームの魅力は何より、キャラデザが由良大先生ということ、そして設定の奇抜さとシステムのおもしろさにある。2017年現在も、後世に語り継ぎたい乙女ゲームに名を連ねる名作である。

由良大先生は私くらいの年齢の女ヲタクないし腐女子さんにとっては、頂点に君臨するイラストレーターのお一人ではないだろうか。みらくるのーとんやラッキードッグなどで、大変お世話になった人も多いと思う。多くの腐女子を世に生み出してきた、母なる存在である。

 

さて、攻略キャラのことだ。

大体のイケメンは、45キロくらいまで落とさないと攻略できないという、デブ専が聞いたら殴りかかってきそうなスペックを要求してくる鬼だったのだが、颯太くんはデブでも付き合ってくれるというとてもビギナー向けのキャラだったので、中3の私はコロッといかれた。60キロの女と付き合ってくれる心の広さ、世の中の男は見習うべきじゃないのか?

現在進行形でデブの私は颯太くんを見るたび、何か赦されたような気持ちになります。

 

このゲームは攻略対象のイケメンがみんな心の闇(笑)を抱えてることが特徴です。

参考までにこちらを。

 

このOPからもプンプン臭ってますね。なんせ鎖に囲まれちゃってますから。

「本当~の自分~さえ 見失い~そ~う~♪」

 

ありのままのおおおお君でいいよおおおおお望むことはああああもう何もないいいいい

 

OPでそう言うなら、100キロのありのままを愛せや!!!!!

 

私はこの曲が大好きです。

 

みんながみんな、実は俺は……と同じ時期に心の闇を語りだすもんだから、後半面白くなって笑いがこられきれなかったことを思い出します。お前ら、主人公ちゃんはカウンセラーじゃないんやで。

ここらへんから乙女ゲームをやりながらも、萌えている私とその姿を冷静に見て「いやいや、ないっしょww」と高みの見物をしている自分が分離しはじめます。

うるせー!お前結局うひうひプレイしてるんだから意地はるんじゃねえ!!

 

はじめてプレイした乙女ゲームがこの作品でよかった。実は乙女ゲーマーにとって、一番最初にプレイした作品はその後の好みを形作る大切なキーポイントになっているのではないかと思います。

私は最初にこの最高の作品をプレイした結果、絵・システム・シナリオの斬新さ・声優の4点が揃っていないと購入してプレイしないという批評家気取りの最悪な乙ゲープレイヤーになってしまったと自覚しています。学生だからお金がなかったことも理由なんだけどね!!!

 

遙かなる時空の中で3(PS2

遙かなる時空の中で3 十六夜

遙かなる時空の中で3 運命の迷宮

★源九朗

 

私の中の後世に語り継ぎたい乙女ゲームその2にして、遥かシリーズ最高傑作。(と、思っています。他の遥か作品をろくにプレイしたことがないのに……すみません)

 

白龍の神子として異世界に召喚された主人公が、異世界の平和を守るために八葉と呼ばれるイケメンとともに戦うシリーズ。その三作目である本作は、異世界の鎌倉へ飛ばされ、源平合戦に巻き込まれることとなります。

 

 

この作品の素晴らしい部分は、なんといって主人公のキャラクターです。

THE 戦う主人公

守られているばかりは嫌!と剣術までマスターし敵をなぎ払い、男気あふれる選択肢で数多の男のみならず、プレイヤーのハートまでも射止めます。望美ちゃん好き!

次点で、やはりストーリーの良さ。その濃度が、後々出てくる某会社の金太郎飴シナリオとは違います。別次元。レベチ。

 

また、システムも怨霊と呼ばれる敵とのバトルがあったり、キャラを育成して技を習得させたりパラ上げをするRPG要素も含まれていて、飽きがこない。

ここで習得できるスキルがキャラの攻略に必要だったりして、なかなかに頭を使わせられるのです。きっと遥かの攻略チャートをまとめてくださっていたサイトの方は、効率的な仕事ぶりで今や社会で活躍していることでしょう。なんという完璧なスケジュール管理能力。

 

十六夜記は3の追加ディスクのような位置づけですが、運命の迷宮は本編の大団円EDの後を描いており、異世界の仲間が現代に来てしまった!という続編?みたいなものです。

雅~なキャラたちが現代の服(くそださい)を着る姿はなかなかに圧巻です。あと現代への適応早すぎる。どんだけ有能なんだよ。

 

もともと私自分が義経が好きなこともあるんですが、この作品では九郎が一推しでした。

柿と犬と、兄上とリズ先生が大好きな九郎。隠しきれない童貞臭に誘われたドS乙女は多いはず。中の人は声優界が誇る変態の一人、スネ夫こと関智一さんです。

ネタバレになりますが、私が一番好きなシーンは史実どおり実の兄、頼朝から謀反を疑われ、牢屋越しに主人公に泣きつくシーンです。深夜にこたつの布団を被りながら号泣した記憶があります。完全に不審者。どうしてボロボロなイケメンって、こんなに母性本能をくすぐるのでしょうか。性癖か。

いわゆるツンデレっていうやつなんですが、テレた顔がかわいくてもう!!完全に性癖を形作られた自覚はあります。



金色のコルダ無印(PS2

★土浦くん

 

スケジュール管理が求められる乙女ゲームコーエー部門第1位。GS並に難易度が高いゲームです。

 

学校に住みついてる音楽の妖精に見初められた音楽初心者の女の子が、音楽家の猛者どもと切磋琢磨しながら魔法のバイオリンで学内コンクールの頂点を目指すお話。

 

楽曲の楽譜や解釈を集めるために、あらゆる場所でバイオリンを弾いては全力疾走で妖精を追いかけ、イケメンを無視して縦横無尽に校内を走りまくるゲームでもあります。

 

土浦くんは普通科所属でサッカー部のエースでありながら、実は幼少期からピアノを続けコンテストにも出たことがある隠れピアニスト。コンテストが嫌になって逃げたとかいうチキニストでもあります。(冗談です)

ゲーム本編というより、実は漫画版の土浦くんがすごくかっこいいんですよね。ガンガン月森くん(メインヒーロー・両親ともに音楽家のサラブレット)の当て馬にされて、挙句土浦くんの元カノまで出てきて遊園地で修羅場るんですけど、そういうの大好きなんで本当に美味しいです。ボロボロになった良い人系イケメンを癒したい。私がいるじゃん!と言いたい!!



VitaminXPS2

★真壁翼!!!

 

この頃私は鈴木達央が大好きだった。

諏訪部さんとやっていた集英学園乙女研究部というラジオも欠かさず聞き、録音するくらいだった。

CDを買うと参加できる握手会にも友達と行き、実はその日が私の誕生日当日という運命でしかなかったので、「誕生日なので祝ってください!!」とかいっていたあの頃の私は純粋だった。

「名前なんていうの?」とか聞かれて、「○○、お誕生日おめでとう。良い一年になるといいね」とか言われたのは、控えめに言っても最高の思い出であるし、あの頃の鈴木達央さんはまごうことなくイケメンだったし、ジュノンであった。爽やかであった。敬称を付けたいほどに。

彼に一体何があったのだ。今の姿とは結びつかない。ケミストリーや平井堅が好きだと言って、透き通った声をしていたのに。

 

話が逸れた。

 

ブルジョワなぼっちゃま、嬢ちゃまが通う私立聖帝学園中等部の英語教師として働く主人公は、ある日高等部の担任教師への異動を命じられる。担任になったXクラスは学園で成績下位の生徒たちが集まるドベクラス。そこに、B6と呼ばれる問題児集団がいた。主人公は6人と向かい合い、卒業へと導くことができるのか?!

 

みたまんま、ごくせんと花男をまぜてアホで仕上げしたシナリオである。

主題歌にもこだわっていて、プロデューサーの岩崎さんが自ら作詞した放課後エデンとかいうトンデモアホソング(褒め言葉です)を、まるで青春ア●ーゴのような曲を、修●と彰みたいな翼と一(達央と大輔)が歌う。

 

 

VitaminのイベントDVDでは、振付で主題歌を披露するDさんとたつさんが見られる。ご興味のある方は是非!ブチ切れる和彦さんも見れるよ!きょわい!!

 

VitaminXといえば、その斬新なシステム、突飛なシナリオ、今までの女性向けゲームキャラデザの概念を一身したスタイリッシュなそれが魅力だろう。なんせがっちりマンデーで紹介されたほどである。すげえ。

最初に攻略キャラクターを選ぶことができ、専用ルートの一章分を終えるごとにテストがある。高校生くらいまでの知識を要するクイズがだされ、そこでの成績がよいほど、生徒の学力は向上し、学力と愛情の2つのパラメーターでエンディングが決定する。

クイックセーブ・クイックロードという機能も、私はこの作品で初めて経験した。かんたんにセーブできるので、選択肢の前でセーブしておけば、クイックロードで簡単に戻ることができる。ユーザーに対して親切な心遣い、それがこのゲームの素晴らしい点である。こんなにも快適なプレイ環境は初めてだった。

 

前述したように、その頃鈴木達央が大好きだったので、もちろん真壁翼が好きだった。

おバカイケメン集団B6のリーダーであり、人気モデルでもある俺様ブルジョワぼっちゃん。チェック柄の自由の女神像を、「美しい……」とか悦に入りながら磨くかなり危ないやつでもある。

ハーフという設定であるから、セリフの端々に英単語は入ってくるんですが、そこでの鈴木達央の発音に笑ってはいけない。なぜなら、いちいち笑っていてはキリがないからである。



アラビアンズ・ロスト(PC)

★カーティス

 

砂漠に囲まれた犯罪の国、ギルカタールの王女(主人公)は、普通になることを夢見ていた。

普通の恋をして、普通の結婚をして、普通の人になりたい!

王様(父親)が選んだ全員が極悪人の婚約者との結婚を阻止するため、主人公は1000万ゴールドを貯めれば結婚はなし、自分の選択には口を出さないという約束をする。世界一「普通」じゃないプリンセスの、「普通」になるための「普通」じゃない日々が始まる!

 

 

あらすじでも分かる通り、クインロゼさんはシナリオ極振りの乙ゲーブランドさんです(でした)。お世辞にもキャラデザは上手とは言えないし、スチルも美麗とは程遠い。

しかし、それを補って余りあるほどの魅力が、シナリオにあります。犯罪大国のプリンセスが普通になるため、普通じゃない極悪人の婚約者たちの力を借りるとかいう、なんだその中2心をくすぐられる設定。地の文は結構癖があって読みにくいけれど、物語シリーズを読むような訓練されたヲタなら、こんなもの屁でもないだろう。

 

しかし、アラロスの魅力はそこだけではありません。

それは、いわゆる微裏と呼ばれるきわどいエロ描写!!やたらとキャラに押し倒されたり、えろいチューしたり、事後っぽい表現が出てきます。それでも特に年齢制限がなされていない本作。(多分PC版だけだったと思います)

えろいことに興味津々な中学生がこぞって買うにきまっている。私は買った。

 

中でも私の一推しであるカーティス(石田彰)は完全なるえろ要員です。バリバリ凄腕の殺し屋、カーティス・ナイル。前述した押し倒しシーンもカーティスのもので、彼はEDで子作りをはじめようとするとんでもない倫理観の持ち主。まあ、犯罪者だしね?(魔法の言葉)

 

REBORN!の雲雀さんとか、銀魂の沖田とかが好きな方は絶対に好きなキャラです。笑いながらぶちころすよ?とか言ってしまうような卍THE・厨二卍ですから。

こう思うと、中学生がやるにはふさわしい作品だったかもしれない。

 

ハートの国のアリス(PC)

 

地獄のターン数乙女ゲーム界を震撼させたハトアリ。結局誰も攻略できないままいたずらにターン数を重ねた記憶があります。

映画化や大規模イベント(その時期にはロゼから離れていたのでよく知りませんが)など、多くの謎の伝説を残したクインロゼが産んだ核弾頭であり稼ぎ頭。その中2世界観からユーザーを選ぶ作品ではありますが、その設定の突飛さ、アイディアは目を見張るものがあります。普通の乙女ゲームに飽きてしまった方には、是非おすすめしたい作品。時間が有り余るほどあるのであれば。

私としてはどちらかといえば、アラビアンズ・ロストの方を推したいです。同じターン数の多さでも、戦闘がある分、アラロスの方が飽きが来ないです。

 

クインロゼがいつの間にか倒産していたのには正直笑いましたが、青春の一部を捧げたという情もあるので、なかなかに思うものがありますね。

 

花宵ロマネスク(携帯)

オレンジハニー(携帯)

ラブルート・ゼロ(携帯)

クラノア(携帯)

 

下に行くほど全体的にクオリティが下がります。

トイズwalkerが産んだ迷作4作。恋ギグとかもあった気がするが、気にしないことにしよう。

 

オレンジ~~~~ハニ~~~~~

あまりのクソゲーさから一時期ネットの一部を騒がせたオレンジハニー、私の学校でも謎に主題歌を歌うことが流行っていて、「オレンジ~~~~ハニ~~~wwww」とよく友達と歌ったものだった。なんせ箸が転がっても面白い年頃である。

詳しくはこちらをどうぞ。

上ハモ・下ハモをマスターして、さあ!君もレッツ オレンジ~~~~ハニ~~~~~

 

迷作4作の中でも、花宵ロマネスクは生まれて二度目に行ったコミケで初めて物販に参加した、記念すべき作品でもある。

ロゴスという謎の呪縛に囚われる宝生家の人々と、ひょんなことから関わり合いになっていく主人公。ロゴスから宝生家の人々を開放できるのは主人公だけとわかり、このメンヘライケメン一族のいざこざに巻き込まれていくこととなる。

 

メンヘラのなんたるかを教えてもらったのもこの作品であるし、本当にお世話になった。

しかしラブルートゼロ、てめーはダメだ。

クラノアに至ってはもう記憶がない。なんかドーナッツを集めた記憶がある。



当時私は二歳上の某男性アイドルオタクの姉にバレないように、姉が寝静まった深夜にPS2を持ち出し、こっそりプレイしていた。

その頃の姉は私の中でバリバリ支配者として君臨していたので、バレて「うわあ、気持ち悪い!」と非難されたり、笑いものにされることを恐れていたんだと思う。

実際、姉はヲタクだからといって他人を馬鹿にしたりする人じゃなかったので、私が勝手に過敏になっていただけなのだが。

家族が寝静まった夜中に、ニヤニヤしながらゲームをする私は相当に気持ち悪かったと思う。

 

次回は乙女ゲーム極め期~高校時代~について書き散らします。乞うご期待!



どもれども、どもれどもなお、我が人生


私は吃音症だ。

福山雅治藤原さくらちゃんがやっていた「ラヴソング」というドラマや、押見修造先生の漫画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」、小説家の重松清さんの本などで、最近は中々知名度も上がっているのではないだろうか。

 

志乃ちゃんは自分の名前が言えない

志乃ちゃんは自分の名前が言えない

 

 

 

きよしこ (新潮文庫)

きよしこ (新潮文庫)

 

 

 

 

それでも万人の理解は得られない、それが吃音症だと思う。

私は自分が吃音症になったきっかけを覚えている。

小学校にあがるまで、私は北海道で幼少期を送った。

幼稚園生くらいのこと、私はとても引っ込み思案な子供だった。幼稚園では一人しか友達がいなかったし、その友達も無口な子だったのでいつも二人でただただ黙って砂遊びをしていた。

引っ込み思案な割に、私は他の子たちよりも背丈が大きく、性格とは裏腹にとても目立っていた。そして、よく男の子にからかわれていた。そのことが引っ込み思案な性格に拍車を掛け、私は他者に対して怯える子供になった。
そんなこともあって、私は家族や幼馴染、友人以外と触れ合うことをとても苦手としていた。

私には二歳年上の姉がいるが、私とは正反対にとても活発な子供だった。しかし少し体が弱く、体調を崩すことが多かった。
ある日、姉が入院することになった。母は姉に付き添わなくてはならない、父は仕事がある。幼稚園はその頃、夏休みか何かでお休みだったと思う。
困った母に、お向かいのおばさんが「うちで預かろうか」と言ってくれた。
かくして私は日中、そのおばさんの家に預けられることになった。

うちは比較的穏やかな家で、幼少期に父にも母にも強い口調で何かを言われた記憶はない。しかし、お向かいのおばさんはなんというか、豪快な人で、今の時代には滅多にお目にかかれない、よその家の子供にもきちんと注意ができる人だった。
かといって、さっきも言った通りおとなしい子だったので何か注意された記憶はないのだが、おばさんの大きな声や勢いにとにかく委縮していたような気がする。もちろん、おばさんは好意から寂しくないようにかまってくれていたのだが。

姉が退院し、日中も家にいれるようになったころ、吃音がでてくるようになった。

預けられている間、私は母親に捨てられたような感覚を抱いていた。そんな記憶が、おぼろげながら私には残っている。

その後、私は発達障害の子供なども通う、「言葉の教室」というところに一週間に一度くらい通うようになった。かといって、そこで何か発声練習をするでもなく、ただその男の先生とおもちゃで遊んだりしながらお話しをするだけだった。
先生は私に吃音がなんたるかという話をするでもなく、普通の子と同じように接してくれ、私も先生に対して他の大人とは違い、委縮することはなく話していた。
私は、幼稚園の先生が苦手な子供だった。先生のことは好きだし、本当は一緒に話をしたいのだが、大体は元気のある子ども・積極的な子供が先生を独占する。私はその波に乗れなかった。遠慮してしまうのだ。だから自ずと私は先生というものが苦手だった。
そんな私であるから、2人だけの空間で、私だけをみてくれる先生には自分をさらけ出すことができた。最初の固い表情がどんどん崩れて、ずけずけとものを言う私のことを、先生はよく笑いながら冗談めかして「子憎たらしい」と言ったものだった。
言葉の教室は楽しかった。

 

後々調べて分かったことだが、先生はおそらく言語聴覚士だったのだ。母は、私に吃音のことを教えないで育てようとしていた。私の気にしすぎる性格を考えて、吃音というものなのだと教えるより、普通の子と同じように育てることを望んでいた。今でも、あなたは普通に喋れている、吃音もそんなにひどいものではないと言ってくれる。程度の問題の話をしているのではないので、慰めにはならないのだが。

 

幼稚園を卒園する頃、北海道から神奈川へ引っ越すことになった。

言葉の教室の先生と会う最後の日、恥ずかしくて、悲しくて、あまりちゃんとさようならを言えなかった記憶がある。
それでも、先生は私と母に「もう〇〇ちゃんは大丈夫だ」と言ってくれたような記憶がある。

しかし神奈川の小学校でも、受験して合格した私立中学でも、自己紹介やあらゆる場面で私は吃音を発症した。
中学3年生に重松清さんの「青い鳥」を読むまで自分が吃音ということを知らず、知らされず、ただ極端なあがり症だと思っていたから、どうしていつもどもってしまうんだろうと悩み続ける毎日だった。

 

 

一度だけ、吃音症が治ったことがある。
小学校4年生のころだ。担任の先生は愛媛からきた新任の若い女の人で、綺麗なだけでなく快活な方で私も含め、生徒みんなが先生のことを大好きだった。
吃音のことで学校で何か発表があったりすると学校に行くのを嫌がったり、家で落ち込んだりする私を心配して、母が連絡簿に私の吃音のことを書いてくれたことがあった。新任で熱意に溢れていた先生は、それに丁寧に返事を返してくれてクラスの中でも目立つ方ではなかった私のことによく注目してくれるようになった(もちろん、先生は全員に平等に注目していたけれど)。

言葉を自由に扱えない分、言えない言葉を言い換えるために語彙を増やしたり、文章で気持ちを伝えるために私はたくさん本を読んでいた。先生はそこに着目して国語の宿題を褒めてくれたり、授業で書いた絵本をすごいと言ってくれたり、私の長所をみつけて認めてくれた。
家族以外の大人に認められていること、私を理解してくれていること、それに安心した。
その先生が担任だった1年間、吃音が出なかった。

思えば私は、承認に飢えた子供だったんだと思う。
快活な問題児の姉に注意を払っている母、必要以上に迷惑をかけないようにいい子で居ようとする自分。
理解してほしい、認めてほしいと思う本当の自分の心と、おとなしい建前の自分の間を行き来する間に摩耗してしまったんだと思う。


志乃ちゃんは自分の名前を言えないが、私も自分の名前が言えない。苗字も名前も、自分が苦手な行なので、自己紹介は地獄だ。
勉強することで、本を読むことで、成長することで、多くの言葉は言い換えることができるようになった。吃音と悟られず、相手と会話をすることも可能になった。

でも、自分の名前だけは言い換えることはできない。

自分の名前がもっと別のものだったら。そんな風に思って、本当は自分の名前が好きなのに、嫌いにならざるを得ないことに虚しさを感じたりした。部屋でぶつぶつと自分の名前を繰り返して、どうしてこんなに練習してもうまく話すことができないんだろうと泣いて泣いて。
この苦痛はこれから先も続くだろう。
今でも、自己紹介という言葉を聞くだけで心臓が縮み上がり、口から飛び出しそうになる。頭にも体にも、吃音の記憶が鎖のように絡みついていて、ふとした時にその重さを感じ、自由を制限されていると気づく。

最近大学のカウンセリングセンターに通っていて、吃音のことを相談しだしてからは電話などでも自分の名前でどもらなくなったが、それでも不安は拭えない。どもって恥をかいた記憶は消えないから、電話のコール中にふとフラッシュバックしたりする。
しかし、カウンセリングに行き誰かに自分のことを理解してもらっていることで承認欲を満たされ、今は安心感があるのだと思う。

結局、死ぬまでこの問題と向き合っていくはめになるのだ。
子供のころから、このことを考えるといつも死にたくなっていた。
当たり前のことができない自分に、劣等感を抱かない人間なんていない。いつまでこんな惨めな思いをしなければいけないんだろう。大人になっても?死ぬまで?こんな私が、バイトをできるんだろうか。みんなが就くような普通の職業になれるのだろうか。将来のことを考える時、そこにはいつも無限の可能性や希望はなく、「こんな私でもなれる職業ってなんだろう」という考えだけがあった。
将来の夢を、きらきら輝く瞳をして無邪気に語る同級生がうらやましくて、妬ましくて、大嫌いだった。ただの逆恨みだ。
そしてそんなことを考えれば考えるほど、吃音の症状は悪くなる。

「ラヴソング」の藤原さくらちゃんが演じた役と同じで(ラヴソングはあまりにも自分にとって痛い内容すぎて、あまりきちんと見れていないが)、私も歌っているときはどもりがでない。歌も大好きだ(うまいかどうかは別として)。高校時代、バンドのボーカルをやっていたこともある。
中学からは一貫の私立女子校に入ったからか、自己紹介で失敗してどもった時に最初は奇異の目で見られたが、普通の人なんだ、いいやつなんだということを日常的にアピールすることでみんなの輪に入ることができた(まあ、入学してから一週間は友達ができなかったんだけど)。心の中でどう思っていたか、真実はわからないがみんな優しい人たちだった。
今私が自己肯定感も持ち合わせていることができるのは、中学から大学までの一貫教育時代、この10年間があったからだと思う。受験に失敗して地元中学に進んだらと思うと、寒気がする。中・高・大の同級生と、遊びたいざかりの小学生時代に勉強を頑張ってくれた自分には感謝してもしきれない。


傷つくことが多いからか、私はとても打たれ強い人間になった。嫌なことがあっても、寝れば感情はリセットされるし、どんなに落ち込んでいてもやるべきことはやる。当たり前のことかもしれないが。
吃音は治ることはないと言われている。私もそう思う。一時的に良くはなっても、治ることは決してないのだと思う。

だから私は自分の気持ちに折り合いをつけたい。
治りたいと思って無力感に襲われることもない、他人からの奇異の目にも動じない。今は、そんな自分になることを目標にしている。
こんなことを言いつつも、心の片隅では治りたい気持ちを捨てきれていない自分がいることは重々わかっている。
一生、相反する気持ちに板挟みにされて生きていくのだろう。
でも、どんなに摩耗しても、欠けてしまっても、それを修復して生きていきたい。
それは、吃音ではない人も、きっと同じだろうと思うから。

自意識をこじらせてしまった全乙女のためのおすすめ漫画~繋がる個体(山本中学)~

 

 皆さんは、好きな人に好きと伝えることができますか?
 「この人が好きだ」と、誰に恥じることもなく自覚することができますか?
 人の好意を、(異性であれ、同性であれ)素直に受け止めることができますか?
 

 


 私はできません!!!(断言)
 家族以外の誰かに愛されたい、誰かの一番になってみたいと思いつつも、その願いを口にすることもできなければ、自分の気持ちを認めることすらできない。
 この精神が如実に表れたエピソードがこちらになります。

 

 あれは忘れもしない、大学2年生になった夏のこと(多分……うろ覚えですが)。中学時代から通っている美容室で、その日はカラー、カット、トリートメントという美容室満喫フルコースをオーダーしていました。

 いつもより施術の時間が長いからか、美容師のAさん(30代・男性・既婚・子持ち。眉マスカラに興味を示す若干オネエっ気あり)と私はいつもよりパーソナルに踏み込んだ話を展開していました。いつもはあまり話をしない私を気遣ってか、何気ない話題を投げかけてくれていたAさんですが、長時間同じ空間にいるという和やかな雰囲気がそうさせたのか、ついに禁断の質問を私に振ったのです。

「彼氏とか欲しいって思わないの?」

 そうくるか、Aさん。そこに切り込んでしまうか、Aさん。
 瞬間、確かに先ほど胃に収めたはずのシューアイスが込みあがってきました。おいしいから、と2こ目も勧めてくれたシューアイス。まんまと食べたシューアイス。こんなことでえずきそうになるとは、プロこじらせの風上にも置けませんね。
 適当に誤魔化すか、本音を言ってしまおうか。瞬間、シューアイスの糖分を利用して突然頭がフル稼働。本音を言うことで生じる、今後の関係性への影響。誤魔化しきれるかという、一連の会話のシミュレーション。両者を天秤にかけ、ちっぽけな私の頭がはじき出した結果は、「ええい、ままよ!めんどくせーし、もう言ったれ!!」でした。

「いやー、なんか私なんかが好きになったら、相手に迷惑だなって思うんですよね!!」

 だはは、と勢いよく笑いながら鏡越しにA氏の表情を伺うと、いつにもましてポーカーフェイス。
 その時、私はなんとなく感じていた「私のこの感覚は常人には理解されないのかもしれない」という思いを、明確なものとして昇華させました。

「ごめん、そんなこと言われたことないから、どう返してあげればいいか分からないけど……」

 ……心が砕ける音とは、案外きれいなものですね。
 Aさんよ、そう思ったのなら話題を流して欲しかった。
 
 それ以来、なんだか愛や恋に対して異常に臆病な自分を、他人に曝け出すことに躊躇してしまいます。
 「こんなこと、私しか考えてないのかなあ」、なんてネガティブ選民思想に浸って大学時代という人生最大の青春は終わりました。
 そんな私が大学を卒業してから1年後、出会ったこの漫画。

 

 山本中学さんの「繋がる個体」。(前振りが長くて、すみません)
 モーニングさんの書籍紹介サイトはこちら。冒頭部分を読むことができます。
 

morning.moae.jp

 

あらすじ

 主人公の井口正行は30歳。記念誌専門の出版社で働く、真面目なサラリーマン。同じ職場で働く澤くるみと別れて5年、二度目の童貞期を過ごしつつくるみへの想いを捨てきれず。
 そんなある日、同僚の誘いで数合わせとして参加した合コンで、超絶かわいい女子高生ココちゃんと出会う。何故か好かれ、積極的にアピールしてくるココとくるみの間で揺れる井口。
 ある時、くるみとココが姉妹だと知って――?

 

 
 全4巻ですが、1・2巻と3・4巻では実質的な主人公が違うため、今回は1・2巻について述べたいと思います。
 この漫画には、私のような鬼面倒くさい自意識をこじらせてしまった人間に刺さりまくるセリフが出てきます。

 

 一つ目がこちら!
 

「欠陥品の自分と好きな人の人生を繋げるわけにはいかないの!」

                  澤くるみ 繋がる個体1巻 P177

 

 

 元彼、井口といい雰囲気になって復縁を迫られたくるみが放った一言。くるみも井口のことを想っているのに、いや、想っているからこそ出た言葉。
 このセリフを見たとき、脳天にズガーン!!と雷が落ちたようでした。よく漫画であるアレですよ。世紀の大発明を思いついた時などに出てくるアレです。
 いやあ、私だけじゃないんだ!と、ネガティブ選民思想から解き放たれた瞬間でした。
 
 真面目でまっすぐな井口に惹かれながらも、そんな井口が好きだからこそ、自分と繋げることができない。
 作中では、「人の気持ちはいつか離れてしまうから、それならばはじめからつながない!」とくるみは言っています。その考えに至る経緯は、ちょくちょく語られるくるみの過去から伺い知ることができます。
 愛する母を亡くし、再婚を決めた父親の姿。かつての不倫相手である高校時代の教師、宇津木先生の「妻を亡くして寂しい、また付き合わないか」という誘い。
 
 「愛は永遠じゃない」
 「人の気持ちは移ろうもの」
 
 くるみの心に刻まれた呪いのような、それ。自然体で人に愛される妹と自分を常に比較しながら、普通の感覚を抱くことができない自分に息苦しさを感じていたのでは。そして、かつて不倫をしていたという後ろめたさも相まって、くるみは自分を欠陥品と言ったのでは。
 
 発端となった経験や気持ちは異なれど、くるみの気持ちは痛いほどよくわかります。自分を好きになれないから、人を愛する自信がない。私のような自意識こじらせ系人間は、1巻で同じような感傷に浸ることと思います。
 しかし、この漫画のすごいところは傷を刺激し、感傷に浸らせるだけではなく、読者を成長させようとするところです。
 
 

「いつまでもコドクに酔ってる女には愛想ふりまく生き方なんかわかんないよ!私なんかこの街中のいろんな男に好かれるっていうのに自分が本当に好きになった人には好かれなかったんだから!まーくんにフラれたんだから!」
                  澤ここみ 繋がる個体2巻 P144

 


 
 二度目の雷が、私の脳天に突き刺さりました。同時に、私は自分を恥じました。

 1巻の感傷を吹き飛ばして、横っ面をはたいて、おまけに冷水をぶっかけるように鮮烈なこのセリフ。生ぬるい布団でいつまでもぬくぬくやっているいい年こいた女を、冬の早朝に引っ張り出すような衝撃。

 実際は見開き1ページを使って描写されています。このシーンがこの作品の目玉になっていることは言うまでもないと思います。
 
 愛することの痛みを恐れ背を向けるのがくるみなら、愛されないことを恐れて努力するのがここみ(ココ)です。


 後者の方が、どれだけ辛いだろう。


 このココの発言を踏まえて、1巻の井口に対する猛アタックを読み返すと、ただの今時女子高生とは違う姿が見えてきます。

 誰からも愛され、かつ愛されないことを恐れるココが、唯一愛されなかった男。そして、初めて本当の意味で好きになった男。


 「コドク」に酔いつつ、ココのような愛くるしいふるまいはできないと横目でみつつ、くるみに代表される自意識こじらせ系女子は誰に降りろと言われた訳でもないのに、自ら舞台を降ります。悲しそうに、寂しそうに、申し訳なさそうに背を丸めて。まるで、空き缶を投げつけてくれよと言わんばかりに。
 しかし、心の底では、愛されたいという願望を捨てきれずにいるのです。それは、見方によっては押しつけがましく映るでしょう。というか、押しつけがましいと私自身も思います。


 その子狡さを見事に言い当てたココのセリフ、その汚い部分をえぐり取って目の前に見せつけるようなココのセリフ。しかし、それでいてどこか勇気づけるような暖かさを感じます。
 
 「こんなめんどくさい お姉ちゃんがいいんだってさ!」
 ココはそんな人たちに向けて、「逃げるなー!」と叫び続けます。投げつけてたまるか、と空き缶を握りつぶして。後ろ手で旗を振りながら、声を振り絞って。
 
 
 「好きな人に好かれる」それは奇跡のようなことです。
 どんなに可能性が無くても、望み薄でも、それを掴み取ろうとなりふり構わずもがいたココ。

 一度ならず、二度までも背を背けたにも関わらず、それを与えられたくるみ。
 「好きな人に好かれててむかつく!」とあっかんべーをしたココの姿に、だれもが人を好きになろうと背中を押されるはずです。