超自我の囁き

個人的に読んだ本の感想と考えたことを書きます。

どもれども、どもれどもなお、我が人生


私は吃音症だ。

福山雅治藤原さくらちゃんがやっていた「ラヴソング」というドラマや、押見修造先生の漫画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」、小説家の重松清さんの本などで、最近は中々知名度も上がっているのではないだろうか。

 

志乃ちゃんは自分の名前が言えない

志乃ちゃんは自分の名前が言えない

 

 

 

きよしこ (新潮文庫)

きよしこ (新潮文庫)

 

 

 

 

それでも万人の理解は得られない、それが吃音症だと思う。

私は自分が吃音症になったきっかけを覚えている。

小学校にあがるまで、私は北海道で幼少期を送った。

幼稚園生くらいのこと、私はとても引っ込み思案な子供だった。幼稚園では一人しか友達がいなかったし、その友達も無口な子だったのでいつも二人でただただ黙って砂遊びをしていた。

引っ込み思案な割に、私は他の子たちよりも背丈が大きく、性格とは裏腹にとても目立っていた。そして、よく男の子にからかわれていた。そのことが引っ込み思案な性格に拍車を掛け、私は他者に対して怯える子供になった。
そんなこともあって、私は家族や幼馴染、友人以外と触れ合うことをとても苦手としていた。

私には二歳年上の姉がいるが、私とは正反対にとても活発な子供だった。しかし少し体が弱く、体調を崩すことが多かった。
ある日、姉が入院することになった。母は姉に付き添わなくてはならない、父は仕事がある。幼稚園はその頃、夏休みか何かでお休みだったと思う。
困った母に、お向かいのおばさんが「うちで預かろうか」と言ってくれた。
かくして私は日中、そのおばさんの家に預けられることになった。

うちは比較的穏やかな家で、幼少期に父にも母にも強い口調で何かを言われた記憶はない。しかし、お向かいのおばさんはなんというか、豪快な人で、今の時代には滅多にお目にかかれない、よその家の子供にもきちんと注意ができる人だった。
かといって、さっきも言った通りおとなしい子だったので何か注意された記憶はないのだが、おばさんの大きな声や勢いにとにかく委縮していたような気がする。もちろん、おばさんは好意から寂しくないようにかまってくれていたのだが。

姉が退院し、日中も家にいれるようになったころ、吃音がでてくるようになった。

預けられている間、私は母親に捨てられたような感覚を抱いていた。そんな記憶が、おぼろげながら私には残っている。

その後、私は発達障害の子供なども通う、「言葉の教室」というところに一週間に一度くらい通うようになった。かといって、そこで何か発声練習をするでもなく、ただその男の先生とおもちゃで遊んだりしながらお話しをするだけだった。
先生は私に吃音がなんたるかという話をするでもなく、普通の子と同じように接してくれ、私も先生に対して他の大人とは違い、委縮することはなく話していた。
私は、幼稚園の先生が苦手な子供だった。先生のことは好きだし、本当は一緒に話をしたいのだが、大体は元気のある子ども・積極的な子供が先生を独占する。私はその波に乗れなかった。遠慮してしまうのだ。だから自ずと私は先生というものが苦手だった。
そんな私であるから、2人だけの空間で、私だけをみてくれる先生には自分をさらけ出すことができた。最初の固い表情がどんどん崩れて、ずけずけとものを言う私のことを、先生はよく笑いながら冗談めかして「子憎たらしい」と言ったものだった。
言葉の教室は楽しかった。

 

後々調べて分かったことだが、先生はおそらく言語聴覚士だったのだ。母は、私に吃音のことを教えないで育てようとしていた。私の気にしすぎる性格を考えて、吃音というものなのだと教えるより、普通の子と同じように育てることを望んでいた。今でも、あなたは普通に喋れている、吃音もそんなにひどいものではないと言ってくれる。程度の問題の話をしているのではないので、慰めにはならないのだが。

 

幼稚園を卒園する頃、北海道から神奈川へ引っ越すことになった。

言葉の教室の先生と会う最後の日、恥ずかしくて、悲しくて、あまりちゃんとさようならを言えなかった記憶がある。
それでも、先生は私と母に「もう〇〇ちゃんは大丈夫だ」と言ってくれたような記憶がある。

しかし神奈川の小学校でも、受験して合格した私立中学でも、自己紹介やあらゆる場面で私は吃音を発症した。
中学3年生に重松清さんの「青い鳥」を読むまで自分が吃音ということを知らず、知らされず、ただ極端なあがり症だと思っていたから、どうしていつもどもってしまうんだろうと悩み続ける毎日だった。

 

 

一度だけ、吃音症が治ったことがある。
小学校4年生のころだ。担任の先生は愛媛からきた新任の若い女の人で、綺麗なだけでなく快活な方で私も含め、生徒みんなが先生のことを大好きだった。
吃音のことで学校で何か発表があったりすると学校に行くのを嫌がったり、家で落ち込んだりする私を心配して、母が連絡簿に私の吃音のことを書いてくれたことがあった。新任で熱意に溢れていた先生は、それに丁寧に返事を返してくれてクラスの中でも目立つ方ではなかった私のことによく注目してくれるようになった(もちろん、先生は全員に平等に注目していたけれど)。

言葉を自由に扱えない分、言えない言葉を言い換えるために語彙を増やしたり、文章で気持ちを伝えるために私はたくさん本を読んでいた。先生はそこに着目して国語の宿題を褒めてくれたり、授業で書いた絵本をすごいと言ってくれたり、私の長所をみつけて認めてくれた。
家族以外の大人に認められていること、私を理解してくれていること、それに安心した。
その先生が担任だった1年間、吃音が出なかった。

思えば私は、承認に飢えた子供だったんだと思う。
快活な問題児の姉に注意を払っている母、必要以上に迷惑をかけないようにいい子で居ようとする自分。
理解してほしい、認めてほしいと思う本当の自分の心と、おとなしい建前の自分の間を行き来する間に摩耗してしまったんだと思う。


志乃ちゃんは自分の名前を言えないが、私も自分の名前が言えない。苗字も名前も、自分が苦手な行なので、自己紹介は地獄だ。
勉強することで、本を読むことで、成長することで、多くの言葉は言い換えることができるようになった。吃音と悟られず、相手と会話をすることも可能になった。

でも、自分の名前だけは言い換えることはできない。

自分の名前がもっと別のものだったら。そんな風に思って、本当は自分の名前が好きなのに、嫌いにならざるを得ないことに虚しさを感じたりした。部屋でぶつぶつと自分の名前を繰り返して、どうしてこんなに練習してもうまく話すことができないんだろうと泣いて泣いて。
この苦痛はこれから先も続くだろう。
今でも、自己紹介という言葉を聞くだけで心臓が縮み上がり、口から飛び出しそうになる。頭にも体にも、吃音の記憶が鎖のように絡みついていて、ふとした時にその重さを感じ、自由を制限されていると気づく。

最近大学のカウンセリングセンターに通っていて、吃音のことを相談しだしてからは電話などでも自分の名前でどもらなくなったが、それでも不安は拭えない。どもって恥をかいた記憶は消えないから、電話のコール中にふとフラッシュバックしたりする。
しかし、カウンセリングに行き誰かに自分のことを理解してもらっていることで承認欲を満たされ、今は安心感があるのだと思う。

結局、死ぬまでこの問題と向き合っていくはめになるのだ。
子供のころから、このことを考えるといつも死にたくなっていた。
当たり前のことができない自分に、劣等感を抱かない人間なんていない。いつまでこんな惨めな思いをしなければいけないんだろう。大人になっても?死ぬまで?こんな私が、バイトをできるんだろうか。みんなが就くような普通の職業になれるのだろうか。将来のことを考える時、そこにはいつも無限の可能性や希望はなく、「こんな私でもなれる職業ってなんだろう」という考えだけがあった。
将来の夢を、きらきら輝く瞳をして無邪気に語る同級生がうらやましくて、妬ましくて、大嫌いだった。ただの逆恨みだ。
そしてそんなことを考えれば考えるほど、吃音の症状は悪くなる。

「ラヴソング」の藤原さくらちゃんが演じた役と同じで(ラヴソングはあまりにも自分にとって痛い内容すぎて、あまりきちんと見れていないが)、私も歌っているときはどもりがでない。歌も大好きだ(うまいかどうかは別として)。高校時代、バンドのボーカルをやっていたこともある。
中学からは一貫の私立女子校に入ったからか、自己紹介で失敗してどもった時に最初は奇異の目で見られたが、普通の人なんだ、いいやつなんだということを日常的にアピールすることでみんなの輪に入ることができた(まあ、入学してから一週間は友達ができなかったんだけど)。心の中でどう思っていたか、真実はわからないがみんな優しい人たちだった。
今私が自己肯定感も持ち合わせていることができるのは、中学から大学までの一貫教育時代、この10年間があったからだと思う。受験に失敗して地元中学に進んだらと思うと、寒気がする。中・高・大の同級生と、遊びたいざかりの小学生時代に勉強を頑張ってくれた自分には感謝してもしきれない。


傷つくことが多いからか、私はとても打たれ強い人間になった。嫌なことがあっても、寝れば感情はリセットされるし、どんなに落ち込んでいてもやるべきことはやる。当たり前のことかもしれないが。
吃音は治ることはないと言われている。私もそう思う。一時的に良くはなっても、治ることは決してないのだと思う。

だから私は自分の気持ちに折り合いをつけたい。
治りたいと思って無力感に襲われることもない、他人からの奇異の目にも動じない。今は、そんな自分になることを目標にしている。
こんなことを言いつつも、心の片隅では治りたい気持ちを捨てきれていない自分がいることは重々わかっている。
一生、相反する気持ちに板挟みにされて生きていくのだろう。
でも、どんなに摩耗しても、欠けてしまっても、それを修復して生きていきたい。
それは、吃音ではない人も、きっと同じだろうと思うから。