超自我の囁き

個人的に読んだ本の感想と考えたことを書きます。

砂の城を建てるように

二年前くらいに書いた吃音に関するブログを再アップした。

いい機会なので、一年前の就職活動中に書いて、書き上げずに下書きのままにしていたもう一つの文をアップしたいと思う。

押見先生の「志乃ちゃん」の映画も公開され、吃音に注目が集まっている時期かもしれないので。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

この前の面接で、久しぶりにひどい吃音が出た。

発する言葉の一つ一つ、全ての一音目がつっかえ、どもり、何一つ伝えたいことを発することができなかった。

二次面接まで進んでいる企業だった。

一次は軽く緊張したものの、割かしすんなりと言葉が出た。

しかし、二次では強面の男性が二人。笑顔もない。

私は相手が自分に興味がないのだと感じたり、攻撃性を感じると吃音がひどくなる傾向がある。

その瞬間、「あ、これは駄目かもしれないなあ」とどこかで諦めている自分がいた。

 

びっくりした。こんなにどもるのは小学生以来だった。

今もこの文章を書いていて、とても心臓が痛い。

私がどもりながらも必死に言葉を紡ぐ中、真向かいの面接官は薄い唇の端を持ち上げて笑った。

 

あ、こいつ今笑った。

私のことを馬鹿にしたんだ。

 

全身の血が沸騰するような感覚だった。

久しぶりに感じた、純粋な怒りだった。

今すぐ殴ってやりたいとも思った。二度と笑えないように、この人をぼこぼこにしてやりたい。

自分の子供が吃音になったら、この人は今のように私のことを笑えるんだろうか。

壊れた機会のように同じ音を繰り返す我が子に、向き合えるんだろうか。

視界がどんどん狭くなるように感じた。もう何も喋りたくないと思った。

彼らの後ろに見えるドアから、はやく出ていきたいと思った。採用されるかされないかなんてどうでもいい。

この瞬間に脅かされているのは、私の社会人としての人生ではない。私という一人の人間、その魂の尊厳が脅かされているのだ。

 

隣にいた面接官から、「ゆっくり話していいんですよ」と言われた。

それは私にとって禁句だった。

一見すると思いやりのある言葉のように思えるけれど、私にとっては呪いの言葉だ。

焦って話そうとするからどもっているんじゃない、どもってしまうから焦って話そうとしているんだ。

落ち着こうと思って吃音が治るなら、25年も悩み続けている訳がない。心の中でそう毒づく。

胸中とは裏腹にほほ笑み返して、大きく息を吸ったけれど、どもりは収まらなかった。

 息が苦しい。胸が苦しい。もう話したくない。

これ以上この人たちと話していたくない。

自己紹介すらまともにできずに泣いていた、小学生の頃に戻ったようだった。

 

何一つ言いたいことを言えないまま、面接は終わった。

非常階段を降りて帰る途中、思わず涙が込み上げてきた。

悔しい。

悔しい、むなしい、悲しい、切ない。

なんで当たり前のことができないんだ。

なんで、なんで、なんで、なんで。

 

帰りの電車でずっと、ばれないように泣いていた。

面接の後に行った研究室でも、ずっと。風邪?と鼻声を疑われたけれど、目と鼻がすごくて、花粉症ですかね~~と笑ってごまかした。

 せっかくカウンセリングセンターに通って、電話でスムーズに話せるようになったのに。逆戻りだ。

 

もう、消えてしまいたい。

何度も思って、何度も打ち消してきた考えが頭の中を支配した

ずっと吃音で悩んで、悩んで、悩みぬいても治ることがない。人に馬鹿にされる、永遠にその繰り返しだ。

辛い、生きているのが。

なんでもないふりをして友人や知り合いの前で笑っているのが、明るい私でいることが何よりもつらい。ずっと自分にウソをついて生きている気がする。

今、全てをやめたい。研究も全てやめて、誰とも話さずにいたい。

いつもぎりぎりのところで踏ん張ってきた。でももうそれも無理だと感じている。

 

吃音は寄せては返す波。私はその浜辺で、いつも砂の城をつくっている。

自分が理想とする、居心地のいい城。

でも波は無情にも城を崩し、砂を削り取る。私は為す術もないまま、もう一度城を建てる。

永遠にその繰り返しだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この考えに今も変わりはない。

ないけれど、紆余曲折はあったものの就職はできた。

将来を悲観する吃音の子がいたら、これだけは伝えたいことがある。

悲観していても、支えてくれる人がいなくても、永遠に同じことが繰り返されても。砂の城をもう一度建てることはできる。

浜辺には砂が沢山ある。数えきれないほど、無限にある。

あとは自分が選ぶだけだ。